マインツ室内合奏団、レーマーゲン
場所:レーマーゲン
ゲネプロ:16時
コンサート:20時
L.シュポァ:没後150年
J.ハイドン:没後200年
G.F.ヘンデル:没後250年
マインツ室内合奏団
プログラム:小編成での演奏会、編曲が多い・・・・・・
J.パッヘルベル:カノン、D-Dur
J.S.バッハ:前奏曲 h-moll BMW 152 (カンタータより)
G.F.ヘンデル:ハープ協奏曲 B-Dur HWV 284
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L.シュポァ:フルート、ハープのソナタ c-moll
J.ハイドン:ヴァイオリン協奏曲 C-Dur Hob. VIIa:1
小雨の中、高速を走る。もちろん自転車じゃない。
最近車の運転がつまらない。
風を感じないし、周りの自然の音は聞こえない。向かい風でも上り坂になってもクルージングを使って一定速度で上がってしまう。
自転車は違う。
ゲネプロ・・・・
なんだかバラバラでやっつけ仕事の雰囲気だ。
チェロ奏者はベルギー在住のポーランド人、ポーランド語、フランス語、英語しか話さないので、ドイツ語、フランス語、英語でリハーサルが進む。
ゲネプロ後、その若いチェロ君を『レーマーゲンの橋』(No.16参照)に連れて行った。雨が降っている。
彼にはフランス語で『レーマーゲンの橋』について説明したが、自分のつたないフランス語では細かい部分は無理だし、橋についても簡単な知識しかない。ここは実物を見せるしかない。
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1945年、ドイツを東に進むアメリカ軍とドイツ軍がライン川を挟んで対峙した。
場所はレーマーゲン。
ライン川を渡る橋は多くない。
この橋、ルーテンドルフ橋は1916年 - 1918年にわたって架けられた鉄道橋。目的は第1次世界大戦中の軍事補給輸送だった。
ライン川の両サイドにはそれぞれ幹線が走っていて、それらを結ぶ連絡線の形を取っている。単線で歩道が併設されていた。
アメリカ軍の空爆で幾度か損傷したが、ドイツ軍の手で修繕されてまだ機能していた。
ライン川自体が自然の要塞で、アメリカ軍がここを突破するとドイツは危険にさらされる。
必死の攻防の末、1945年3月7日、ドイツ軍が自らこの橋を爆破しようと試みたが、爆薬の質が悪く橋は損傷を受けただけで落ちなかった。
アメリカ軍は線路の間に木を埋めて、機動部隊を通過させた。
10日後の3月17日、これまで何度も損傷を受けた上に重い機甲部隊が通過したので耐えられずに、ついに補修工事中のアメリカ兵28名とともに自壊した。
ちなみに3月7日は自分の誕生日だ。関係ないけど・・・・・
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ホールでコンサートを仕切っているのはこの町の観光局長T氏。
出演者の名前を全部覚えていて、きちんと話しかけてる。
演奏会前後の世話、チケットの販売から休憩中の飲み物サービスまで一人でこなしている。
終演後、彼から橋の情報を得た。
『レーマーゲンの橋』(No.16参照)はアメリカ映画にもなっているが
「面白く脚色されていて事実と異なる部分がとても多い」
そうだ。
残った橋脚内部は現在平和博物館になっているが、夏期のみ開館の上、演奏会で来た時はいつも開館時間外だった
。次回はT氏が特別に見せてくれるそうだ。
コンサートはゲネプロとは大違いで大変うまくいった。よくあることだ。
ゲネプロが良いとコンサートはたいてい失敗する。